モビーダの資料

------------------モビーダを理解するための資料

  Movida Vs 現在  20年後のスペイン、音楽的相違 (Juan Vila)

 E-zine Muzikaliaより引用記事です。


既にこの時代について、たくさん議論されてきた。
雑誌(僕たちや君たちの)のフォーラムで、2003年3月のRockdeluxで、国営放送で
(いつもなぜかJoaquin Luckyが登場する)。
僕たちは、モビーダと呼ばれるものを検証しうる仕事に加わってきた。
Muzikaliaでもしないわけにはいかないだろう。

80年代のスペインは政治の変換期で、民主主義の導入と固定の時期であった。
それは独裁政治での暗い時期を過ごした後、いくつかのグループによって
強く望まれたことだった。 私たちの国は長い眠りから覚めて、外に目を開いた。
新しい自由の風、アーティスト、 市井の人々、政治家、労働組合員たちが本当に
感じたことを語ることができる 自由の風が到来したのだ。
抑圧は言論の自由に道を譲った。

音楽シーンでは、ビーチや、風車といったスペイン的風景、スペインがユーロビジョンに
参加する時の モチーフとは何の関係もない何か別のことを歌うグループが登場してきた。
表現の自由とともに、 いくつかのグループはもっと、ラジカルで批判的な姿勢をとった。
Kaka De Luxe, Paralisis Permanente, Siniestro Total, Aviador Dro, Aerolineas Federales, ...
その他諸々、ある
共通項を持ったグループが登場し始めた。
その共通項とは、聞き手に、抑圧されていた思考全てを見せること。

現在は"洗剤コロンの容器になりたい"*1 とか"あたしはパンク"*2とか
"アヤトラ、俺を怒らせるな"*3 と歌っても意味はないだろう。僕たちは歌詞が、
もっと社会的であったり、コミカルなもので あったりすることを狙っている、
そんな時代にいる。 なにかもっと重要なものを探さないといけないのだ。
聞き手は"プロ"になってきていて、バンド側もまたしかり、いやそれ以上になってきている。

80年代に僕たちが生きている現在にたどり着くためのベースが築かれた。
80年代のグループはメデイア的にも、自分たちの演奏テクニック的にも
今より制限されていた。 現在は作曲された曲がもっと込み入ったものに
するような、 新しい装飾的要素が導入されてきた。
より洗練されたテクニックは方法論より重視されるようになってきた。

僕たちはアーチスト過剰時代にいる。数え切れないグループがいる。
おそらく限られた聞き手にとっては多すぎるかもしれない。新しいテクノロジー、
たとえば僕たちのメディアの場合(インターネット)は、これらのグループが多くの
聞き手の耳に届く手助けをしてきた。これだけ多くの有象無象の音楽グループの中で、
耳に留まるためにはぬきんでてきなければならない。そして聞き手が望んでいるのは質だ。
別に、80年代のグループがいいグループでなかったとか、ないとか言いたいわけではない。
全然そんなことはない。だけれど、今のグループのほうが質的にはいいのだ、
と再確認したいだけだ。 あの時代は、文学的な歌詞にとっては悪い時代だったが、
まじめな歌詞、 つい最近まで語ることの出来なかった何かを言うための
権利のためにはいい時代だったのだ。

モビーダ時代のグループの中で威厳を持って成長してきた唯一の人たちは
Fangoria(ファンゴリア)(Alaskaアラスカ とNacho Canutナチョ カヌ)だけだ。
彼らは、新しい時代に順応してきた。 つまりは進化をとげてきた。
そして他のグループはどうしてきたのか?
まあ、プロデューサー業に移ったり、他の商売に出口を見つけたり、
再度、ベスト盤を編集しようとしたり、再結成して、よかった時代の蜜を味わおうとしている。

疑いなく、時代を回顧し、80年代がどういう時代であったかを事細かに検証していくことは
ほんとうにお勧めのことだ。しかし過去にとどまることは、全く何も生み出さない。
そこから進化するために学ばなければ意味がない。

*1 Los Pegamoides(ロス ペガモイデス)の歌の一節。
*2 Aerolineas Federales(アエロリニアル フェデラレス)の歌の一節。
*3 Siniestro Total(シニエストロ トタル)の歌の一節。

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